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レオノール・デ・アラゴン (ポルトガル王妃) : ミニ英和和英辞書
レオノール・デ・アラゴン (ポルトガル王妃)[ひ]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [ちょうおん]
 (n) long vowel mark (usually only used in katakana)
: [おう]
  1. (n,n-suf) (1) king 2. ruler 3. sovereign 4. monarch 5. (2) king (for senior player) (shogi) 
王妃 : [おうひ]
 【名詞】 1. queen 
: [ひ]
 【名詞】 1. princess 2. consort 

レオノール・デ・アラゴン (ポルトガル王妃) : ウィキペディア日本語版
レオノール・デ・アラゴン (ポルトガル王妃)[ひ]

レオノール・デ・アラゴンLeonor de Aragão, 1402年 - 1445年2月19日)は、ポルトガルドゥアルテ1世の王妃。
アラゴンフェルナンド1世と妃レオノール・デ・アルブルケルケの娘として生まれた。
1428年9月、ドゥアルテと結婚した。9子をもうけたが、成人したのは5人である。
*アフォンソ(1432年 - 1481年)
*フェルナンド(1433年 - 1470年) ヴィゼウ公。マヌエル1世の父
*レオノール(1434年 - 1467年) 神聖ローマ皇帝フリードリヒ3世皇后
*カタリーナ(1436年 - 1463年) 尼僧
*ジョアナ(1439年 - 1475年) カスティーリャエンリケ4世の2度目の妃
1438年にドゥアルテが黒死病で急逝する。生前に夫から摂政就任を依頼されていたレオノールは、幼王アフォンソ5世の摂政就任を宣言する。しかし、彼女が外国人であるためポルトガル国内で人気がなく、王弟コインブラ公ペドロが人望を集めていた。バルセロス伯とリスボン大司教の干渉、長女フィリッパが9歳で夭折、遺児ジョアナの出産など、出来事が相次ぎ、数ヶ月たっても摂政が決まらなかった。
コルテスが招集され、すぐにコインブラ公単独の摂政就任が決定された。これに不服なレオノールはなおもコインブラ公追い落としを画策するが、1440年にカスティーリャへの亡命を強いられた。彼女はトレドで亡くなり、バターリャ修道院に葬られた。



抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「レオノール・デ・アラゴン (ポルトガル王妃)」の詳細全文を読む




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